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日々徒然に

日々徒然に

私と病気1

私と病気 1

 それは小学校2年の終わりから3年にかけてのことだった。右手で字が書き難いのだ。右手の薬指の外側にペン胼胝のようなものが出来た。紙と擦れるために堅くなりやがて膿んだ。明らかに鉛筆の持ち方に問題があった。

 最初は右手の親指がピクピクと震えていた。やがて震えは右手全体に広がった。しかし、当時は漢字の書き取りなど文字を大量に書かねばならない状態だった。誰にも相談できずにいた。親や先生もそんなに重大なことだとは受け止めなかった。

 余りにも右手で書き難いので左手で書いてみた。すると楽に書ける。しかし、親に見つかると右手で書きなさいと注意を受ける。でも、右手では震えてかけないのだ。習字などの大きい字は右手で書けた。また定規で線を引くのも右手でなければ引けなかった。そのうちに言葉も少し詰まるようになった。

 小学4年の1学期の2ヶ月間、九州の大学病院に入院して徹底的に検査を受けた。結局、原因は分からずじまいだった。右手が震え、言葉も急いで話すと詰まるようになった。でも、何とか普通に勉強をして、高校もその地域では最も難しいとされるところに進学した。その間、字は左手で書いていたが、親が部屋に入ってきたりすると、サッと右手に持ち替えていた。

 高校3年の時、私の発案でもう一度病院で診てもらおうということになった。今度はかかりつけの医師に相談して、さらにその方面の医師から2つの大学病院の名をあげられた。一つは東京のJ大学、もう一つは中国地方のO大学だった。O大学の方が家から近いので、その大学病院に診察を受けに行った。確か夏のことだった。

 脳神経外科の教授は、私の症状を診て、手術をすれば良くなりますといった。ベッドが空くまで待ってくれとのことだった。私は大学の受験勉強をしながらベッドが空くのを待った。大学病院の方から連絡があり入院することになったのは2月だった。卒業試験は終わっていたものの、これから大学の試験が始まるというときだった。私は1年浪人することにして、O大学の付属病院に入院した。


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